※。御釈迦様が生れて七歩いて右手を上に左手を下にして天上天下唯我独尊と言われたのは、天地間に尊く無い物は何も無い。良く勘違いして居るのが自分だけが尊いと思って居る人が多い事に。何が良いか悪いかは人間には解らない、何事も時々の物です確り考えて行う様にしましょう気は使わな無い様にしましょう、頭を使う事と気を使う事と一緒に至無い事です気は使わ無い事です、気は幾ら使っても何も出てきません頭は確り使って下さい、世の中で唯の物は之だけです確り使う事です何をしても金が掛かるのですが之だけは幾ら使ても唯です確り使って下さい。親鸞は、父母孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候わず。『歎異鈔』『観無量寿経』に説かれている 。この親鸞は、父母孝養のため、追善供養のため、一返も念仏申したことは、いまだかつてございません、といい切っておいでになります。念仏は法であり、大行であって、個人的人間を超えたものであります。父母孝養の問題・祖先供養の問題は、人間として素朴な尊い感情でありますが、あくまで、私的な、個人的感情の立場の問題であって、次元を異にしているのであります。混乱すべきではない、はっきりといい切っておられるのであります、味噌も糞も一緒に至無い事です。 |