入院して半年後退院したが、それが又悪かった馬鹿な母親が学校の先生が落第は指せなくても良いと言うのに馬鹿な母親が頭が悪いのだから落第指せてくれと無理を言って1年落第ガックリそれが元で30歳前まで強迫神経症に係る辛かったな、私の悩みを全然感じ無いのか本人は良い事を下かの様に極楽とんぼで気楽な物だった之は今でも同じ事だ私は心の底から母親を憎んで居る、其の後嫁舅(しゅうと)の関係の悪化で広島市を点々とする、それも影響下かも知れない小学校5年生の2学期里の加茂郡の河内小学校に又帰る其の翌年6年生の6月の始め今度は心臓肥大で左膝が曲がら無く成り広島日赤に3ヶ月入院最初は小便は尿瓶、大便は車椅子でトイレに看護師さんが連れて行って来れたまあ最初は検査ばっかりだったが、之も栄養失調症が元だったのだろうが其れと被爆二世が関係して居たのだろうが此の時はもうダメ出は無いかと思った2度目の大病だからね、膝は1か月位で良くなったが心臓はそのままだった冬はズボン下が必要だった苦しかったな2月期から復学皆この苦しさは解って居なっかっただろうな之からが苦しみの始まりだは。此の時気が付けば良かった本当に惜しかった私が馬鹿だった時間は幾らでもあった物を、考える気がしなっかった本当に馬鹿な母親だった。
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